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心の声

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)という会があります。
人工呼吸器は、名前の通り、様々な理由で自分で呼吸するのが難しいとき、器械が呼吸の手助けをするためのものです。とはいえ器械なので、ちょっと苦しい時、呼吸をいっぱいしたい時に、器械が察知して呼吸を早めてくれるわけではありません。
それから少しの間でも呼吸器を離れるときは、息を止めている状態になります。
そんな時は、手動で呼吸を助けるものがあって、空気を送り込むときに,バク、バクッ、という音がします。
その、命をつなぐ音からバクバクの会と名づけられたそうです。

今回の心の声は、人工呼吸器を使用しながら保育園に通った経験を持ち、現在は,バクバクの会の編集長を勤められている、平本歩さんに文章を頂きました。

心の声初の、当事者の方からのメッセージです。どうぞご覧下さい。

2009年02月 平本歩さん(バクバクの会)

はじめまして!
私は、兵庫県尼崎市に住んでいる平本歩(ひらもとあゆみ)です。
24時間人工呼吸器をつけて生活しています。生後2ヶ月の時に入 院し、6ヶ月の時に人工呼吸器をつけました。
4歳まで入院していましたが、「家に帰りたい」と泣いて訴え、4歳の時、在宅しました。地域の保育園・小・中・高と通いました。大学受験を3回しましたが、失敗しました。
今は、バクバクの会(人工呼吸器をつけた子の親の会)の編集長の仕事をしたり、講演しにあちこち飛び回っています。
3年前に主な介護者だった父が亡くなり、24時間ヘルパーさんに来てもらっています。

両親は在宅して家にいるだけでは、病院での生活以下になると考え、保育園への入所を決めました。公立保育園は、人工呼吸器をつけた子の入所などとんでもない、前例がないという対応で、引き受けてくれる私立(わたくしりつ)の保育園への入所となりました。
保育園は、2年間通いました。

私には、痰の吸引、呼吸器管理、胃ろう栄養[2年前までマーゲンチューブ(鼻から胃まで管をいれてお茶やミルクを入れるものです)だったがが、2年前に胃ろうのオペをした]などの医療的ケアがあります。
誰かが医療的ケアをしてくれなければ、私の生活は成り立ちません。
保育園では、保育士さん達が医療的ケアも保育の一環として全てしてくれました。
保育園に入園した最初の頃、保育士さん達に吸引の仕方や呼吸器の操作などを研修してもらいました。
最初の3ヶ月は父が付き添いをしていましたが、保育士さん達が吸引できるようになったので、4ヶ月目から付き添いをしなくていいようになり、朝、私を送って行ってから昼3時まで、父は家に帰れるようになりました。
保育士さん達も6月ぐらいから、お父さんに、もうそろそろ保育園から離れてもらおうと思っていたそうです。
吸引は、私から保育士さん達にも指名しました。
保育士さん達は指名されると逃げ回っていましたが、仕方なく吸引をしているうちに、吸引の仕方を覚えていきました。
吸引ができない保育士さんには、わざとつばを出して、つばを取ってもらっていました。

保育園では、友達と一緒にプールに入ったり、キャンプに行ったりしました。
友達もつばを取ってくれたり、オムツ交換を手伝ってくれました。
プールは、1年目は怖くて目が開けられませんでしたが、2年目はプールに慣れてきたのか、目が開けられるようになりました。
キャンプの時は、父が車の中で待機していて、何かあったらすぐ駆けつけられるようにしました。
保育士さんと友達で過ごし、テントの中で寝て、とても楽しかったです。

また、病院ではメッチャ清潔にしていたのですが、保育園では、友達 がどろんこの手で呼吸器を触ったり、鶏がお腹の上に乗ったりしていました。
今までいた病院のクリーンルームでは考えられないようなことです。そのおかげで(?)、どんどん感染にも強くなり、1年目は75日休みましたが、2年目は26日しか休みませんでした。
友達とは筆談でケンカもしました。「〜のあほ!」とか「歩のおしりはかわいいんじゃ、わかったか」とか書いていたそうです。今思うと、メッチャ恥ずかしいことを言ったなと思います。どうやって字を書くかというと、手首を介助者に支えてもらって、ペンで字や絵を書いていました。

保育園では、親の付き添いもなく、普通に友達と遊んだりケンカしたりできて、とても楽しかったです。

しかし、保育園で親の付き添いが外れていたのに、小・中・高の 12年間、医療的ケアがあるということで、父がずっと学校に付き添っていました。
付き添いを外すよう、市教委と交渉しましたが、結局、付き添いを外れることはありませんでした。また、小・中では、医療的ケアをしてくれる先生と、全く医療的ケアをしてくれない先生がいました。
医療的ケアをしてくれる先生の時は、呼吸器の回路が外れても、すぐに対処してくれました。
父が学校にいても一度も教室に呼ばれることはありませんでした。
先生との信頼関係もでき、友達もいっぱいできました。
今でもその時の友達が家に来てくれたり、時々会ったりして、交流が続いています。
全く医療的ケアをしてくれない先生の時は、吸引の度に父がインターホンで呼ばれ、父は体を休めることができませんでした。
また、呼吸器の回路が外れてもオロオロしているだけで、ただ父を呼びに行っただけでした。先生達には、普段のケアと緊急時の対応の研修を主治医の先生や父がしていましたが、その研修が全く生かされませんでした。
とにかく、バクバクさえすれば呼吸が確保できるのにパニックになって、バクバクすることに思い至らず、何もしてもらえませんでした。
私は、本当に死ぬかと思いました。

医療的ケアは、保育士さんのように一緒に過ごしていたら、最初は怖くても誰でもできるようになると思います。
医療的ケアを特別視せず、保育や教育の一環として、保育士さんや教師が行うことが安全で安心な保育園や学校生活を作っていきます。
医療的ケアがあっても、どんな障害があっても、誰もが当たり前に安心して通える、地域の保育園・学校であってほしいです。


平本歩さん、真の心の声、心から感謝申し上げます。
カンガルーが歩さんのことを知ったのは、6年前です。以前こころの声でも紹介しました秋ちゃん(人工呼吸器を使っていました)をお預かりするときに、今まで人工呼吸器を使いながら保育園に通っていた人はいないかあたってみたのですが、どこも“ありえない”という答えで、たった一人バクバクの会を通して歩さんを教えてもらいました。
突然の電話にも快く応対してくださった歩さんのお父様、園生活の様子を教えてくださった保育園の先生、そして歩さんの存在がカンガルーの背中を押してくれたような気がしたのを覚えています。

6年後の今、たまたま京都の医療的ケアセミナーを通じて(カンガルーの発表を聞いて下さった歩さんのお母様と会の方がエールを送って下さいました)知り合うことが出来ました。勝手ながら、出会えてものすごく嬉しかったです。

歩さんは、ご自分でパソコンを打たれるそうです。この文章を打たれるのも決して楽ではなかったと思いますが、原稿の締め切りが短かったにもかかわらず、快く受けて下さいました。歩さんならではの体験談、想い、社会へのメッセージ、どれをとっても今すぐたくさんの方々に届けたい!と思いました。

歩さん、他の言葉が見つからないのですが、本当にありがとうございました。
これからも、色々教えてください!

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